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彷徨

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彷徨
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人の一生を例えれば、流離の旅.。

夢の如き生涯を送った芭蕉、山頭火。

この人たちに人の理想をみるのも性か。
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 小学校時代の暮らしの一端。

2009/07/04 15:58
 1950年代半ばの神戸の話だ。

 神戸に越して住んだ所は、父の勤め先の寮だった。

 所帯持ちと独身者が一緒に住んでいる。

 今のアパートのような立派なものではない。

 住まいというよりは、勤め先の物流倉庫の一角に、所帯持ち用の2Kが二つと、そして、倉庫や食堂の2階が独身者の寮がくっついている。

 風呂は時間制の共同の風呂。

 私たちは、働いてきた人たちが入られた後だったので、湯は垢だらけだった。

 トイレももちろん、共用。

 夏場は、蛆虫が這いまわっている。

 私たち親子が暮らした住まいは、そんな2Kの一つ。

 6畳と続く4畳半、そして、土間の3畳くらいの台所。

 それに、ベニヤ板のドア。

 これが、家族4人が暮らす全て。

 道に、面した奥の6畳のガラス窓を開けると、バラック建ての崩れそうな小屋が並んでおり、さらに貧しい、仕事のない人たちが暮らしていた。

 そして、その隣は、墓場。

 お化けがでるという噂があり、現実に人玉も観た。


 寮の隣は、小さな鉄工所で一日中うるさい。

 そこで、日常の暮らしの全てが行われた。

 ついこの前まで住んでいた田舎の家と比べると比べ物にならない、息がつまるような狭さ。

 父の帰りは、いつも深夜で酒を飲んで帰ってきた。

 私たち兄弟は、晴れた日は近くの繁華街、新開地や神戸港、そして、時には、物流倉庫で遊んだ。

 どの場所も禁じられた場所だった。

 雨の日は、ラジオや漫画を読んで過ごした。

 もちろん、テレビはない。

 そして、奥の6畳に家族4人が寝た。

 それでも、一生懸命に勉強した。

 この惨めさは嫌だった。

 衣食住全てが、今から思うと「うさぎ小屋」以下だった。



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昭和28年(1953年) 転校

2009/06/20 17:50
 久しぶりに再開しました。

 書き始めは、故郷の話だったので、その後の私が辿った道、いわば、自分史とでもいうべきものを中心に書いていこうと思います。

 昭和28年に、父の仕事の関係で神戸のど真ん中の小学校に転校。

 母に連れて行ったもらった初日からカルチャーショックの連続でした。

 まずは、校庭の狭さに驚きました。

 前にいた出石の小学校の半分もないので、母に校庭はどこかなと聞いたものです。

 しかし、校門の横に猿の檻があり、珍しさに近寄りました。

 そのとたんに猿に腹を引っかかれてさらにシャツに血。

 転校初日から散々。

 そして、教室に行き、其れなりの挨拶をすると、皆がくすくす笑っていました。

 その理由は、しばらくして分かりました。

 私の但馬訛りが神戸の子供にはおかしかったのです。

 この冷かしは、一年近く続き、嫌な毎日でした。
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ブログお休みのお知らせ

2009/04/17 08:26
 自分史ともいえるようなブログを書いてきましたが、この先は辛いことが多すぎた日々です。

 頭を休めるために、半年はブログを休ませて頂きます。

 何人かの読者の方々ありがとうございました。
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2000年(平成12年)3月31日 退職の日

2009/04/11 22:28


 業務の引き継ぎ等で、正式に退職したのは、2000年3月31日だった。

 最後の挨拶に、各部署を回ったが、返ってきた編礼は何もなかった。

 誰もが、そうですかと頷くだけ。

 もちろん花束などない。

 そして、家に戻って、妻が辛そうな顔をして、やっとの思いで「御苦労さま」と言ってくれたことしか記憶にない。

 そんな、辛い日だった。


 こうして、21世紀が始まり、私だけでなく、世の中は価値観と倫理観を無くしていく。
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1999年(平成11年)肩たたきと娘の入学

2009/04/09 06:19
 個人的には、人生最悪の年。

 とうとう、早期退職という形で辞職させられた。

 同じ時、娘は念願の大学。

 これをどう評価するか。

 私は、失業保険を頂きながらの求職活動。

 そして、娘は、通学の関係で、大学の寮に入った。

 まさに、悲喜こもごもの年。

 世間のことなどどうでもよかった。

 
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1998年(平成10年) 母の死、娘の受験他

2009/04/07 22:35
 この年は、仕事と家庭のことで、世間のことにはあまり気が行かなかった。

 昨年来、家に引き取っていた母が夏には、亡くなった。

 これで、私には、親がいなくなった。

 葬儀では、喪主だった。

 そうした、殆ど寝たきりの母の面倒を見ながら、私は仕事をし、妻は娘の受験に気を使いながらも、母の看護をしてくれた。

 そんな、忙しさの中での、長野オリンピック、和歌山カレー事件、サッカーワールドカップ出場くらいかな、記憶に残っているのは。

 ベストセラー、流行った曲を振り返ってみたが、さっぱり記憶にない。

 そんな、歳が1998年だった。
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1997年(平成9年)

2009/04/04 15:46
 この年は、私ごとでいろいろあった。

 まず、私がリストラ策の一環として、出向することになった。

 名ばかり管理職で、部下はいない。

 事実上の降格だ。

 そして、長女は、早稲田大学に合格しながら、東大が目標だといって、浪人を決めた。

 妻は大変だったろう。

 まさに多事多難な年。

 世間のことはあまり記憶にないが、強いて覚えているとすれば、香港の中国への変則的な形の返還くらいだ。
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0


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