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彷徨

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彷徨
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人の一生を例えれば、流離の旅.。

夢の如き生涯を送った芭蕉、山頭火。

この人たちに人の理想をみるのも性か。
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1979年(昭和54年) 長男幼稚園 うさぎ小屋

2009/11/26 08:46
 この年の春、長男が幼稚園に。

 東京に本園があるという幼稚園だったが、月謝が高いだけで、後は社宅からすぐそばにある以外に何のメリットもなかった。

 そういえば、このころは、家族一緒に近くを散歩すれば、タラの芽などが結構とれたし、かぶと虫をつかまえることなどができた。

 社宅は、山の中と言ってもいい位置にあり、車を持っておらず、市街に出るには、会社のバスを使うか、バス停のある所まで歩き、私鉄バスに乗るしかなかった。

 その社宅、その年に「うさぎ小屋」という言葉が流行したそうだが、まさに、うさぎ小屋に近いもので、今でいう賃貸マンションや公団のアパートとは程遠いものだった。

 しかし、その頃が妻に言わせると一番幸せだったという。

 逆に私は今後のことを考えて、うさぎ小屋からの脱出を相談していた。

 これが、のちのちに響いてくるとは世の中皮肉なものだ。

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1978年(昭和53年) 長女誕生 そして、牧村三枝子さん- みちづれ

2009/11/22 22:29
 この年の秋に、長女が生まれた。

 産院は、長男と同じ、地元の病院。

 家内のお産のため、ふたたびしばらくは一人の生活になる。


 

 仕事のことでの記憶は特にないが、社会の動きとしては、江川ドラフト問題があった。

 以来、それほどではなかったアンチ巨人が今も抜けない。

 変な語呂合わせだが、巨人・大鵬・卵焼きのうち、私が好きなのは、卵焼きだけだった。

 そして、歴史を振り返ってみると、既に窓際族という言葉が流行語になっている。


 道連れが増えた記念に、この年の歌より、牧村三枝子さんの道連れ。



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1977年(昭和52年) 義父逝去

2009/11/19 06:17

 この年、二人目の孫を見ずして、義父が逝去された。

 享年52歳の若さ。

 そして、このあたりで家の問題が出てくる。

 
 そして、今になって判明したことだが、この年の11月に北朝鮮による拉致問題が発生している。


 結婚に際して、私たち夫婦の両親の間で取り決めがあったのか、私が妻の実家の後見人ということで、喪主を務めた。

 哀しい葬式だった。

 寒い日、部落の人の大部分が出席されての葬儀。

 墓は、持ち山の一角にあり、まだ土葬だった。

 そして、未だに、忘れられないことがある。

 家の問題に際して、義父に何よりも可愛がられていた妻から、「この嘘つき」と言われ、平手打ちを食った。

 私は、意味が分からず、ただ、暗い気持ちで、黙するのみ。

 このあたりから、私生活においても、何だか、しっくりこないものが出てきたようだ。


 そして、忘れてはならないのは、この年に北朝鮮による拉致問題が発生している。

 歳月の長さを考えずにはいられない。
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1977年(昭和52年) 一つの言葉「あらいぐまラスカル」は子供に見せない・・・・津軽海峡冬景色

2009/11/15 20:43
 このころから、上司というか、私の直属の先輩との性格の不一致が出てきたのかもしれない。

 そんなエピソードで未だに覚えていることがある。

 世界名作劇場とかいうアニメで「あらいぐまラスカル」という作品が放映されており、我が家では、そのほのぼのとしたアニメを子供たちだけでなく、家族で楽しみしていた。

 どんなきっかけで、アニメの話になったのかまでは記憶にないが、ある日、その先輩が言った。

 「あらいぐまラスカル」なんて子供に見せるから、強う生きると言う意味を知らない子供が育つんや」。

 その人は、個性が強すぎるが、頭は切れた。

 敵も多かった。

私は、部長の指示と先輩の指示が異なる場が増えたことを知り、悩み始めた。

 私は、どちらの考え方にも仕事のやり方にもついてゆけなかった。

 たいていは、そのしりぬぐいに回っていたような気がする。

 何のために、理系の大学院を出て、研究所に勤めたのか?

 いつしか、理想は消え去って行った。

 今日は愚痴っぽくなったかな。


 この年のベストセラー。
1. 間違いだらけのクルマ選び正・続
2. 頭のいい銀行利用法
3. 八甲田死の彷徨(新田次郎) 4. 随筆人間革命
5. 知的生活の方法
6. 人間の証明 7. エーゲ海に捧ぐ(池田満寿夫)
8. 頭の体操5 9. ルーツ上・下
10. 事故のてんまつ


そして、日本映画ベスト10。
1. 幸福の黄色いハンカチ
2. 竹山ひとり旅
3. はなれ瞽女おりん
4. 八甲田山
5. 青春の門 自立篇
6. 悪魔の手鞠唄
7. ねむの木の詩がきこえる
8. ボクサー
9. 突然、嵐のように
10. 遠い一本の道


 その年に読んだわけではないが、下線を引いた本及び映画は見た。

 まだ余裕はあったのか。

 その年の曲で未だに好きな津軽海峡冬景色。



 今日は風呂で歌うか。
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1975年(昭和50年) 自分史余談 暮れの帰省の道で見た北山杉

2009/11/08 18:12
 家内の実家は、北山のさらに奥だ。

 川端康成先生の「古都」で描かれる山城中川をさらに、どんどんと北に向かう。

 有名な、仁和寺、高尾、栂ノ尾よりさらに奥。

 そして、その当時は京北町と言っていた周山というところで、バスを乗り換えて、京都駅から約2時間半ほどの地。

 そこで、聞いた話が戦後の日本の林業が抱える問題の多くを語っていた。

 北山杉は全国的に有名だが、外材の輸入で売れなくなり、山持ちは、ただ税金を納めるだけの状態。

 かっては、北山御殿と言われた長者もいたとか聞いたがそれも昔の話。

 思わぬところで、日本の林業の一端を知った。


 京都府のHPのよると、林業生産量は昭和58年度比で、約四分の一にまで落ち込んでいる。





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1976年(昭和51年) 正月 孫とは

2009/11/04 05:56
 私、妻の双方にとっての初孫を連れて帰省した。

 そして、思ったこと。

 特に、私の父は、子供には結構厳しかったが、初孫の前では、うって変ったおじいちゃんぶり。

 それは、義父も同様だったが、義父は子供たちにも優しい父親だったようだ。

 この歳になっても、孫はいず、いまだにその心境は分からない。

 この年の目立った事件の幾つか。

 ロッキード事件。五つ子誕生他。




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1975年(昭和50年) 夜泣きするグルメの赤ん坊

2009/10/28 14:53
 長男はよく眠った。しかし、それは、昼だけ。

 夜になり、親が眠ろうとすると、夜泣きを始める。

 狭い、壁が薄い社宅住まいのこと。家内は、隣近所を気遣って、深夜に長男を背負い、社宅のグラウンドを歩いて、あやして泣きやむのを待った。

 どんな子守歌を歌ったのか、今となっては記憶にない。

 時々は、私も交代。

 そんな中で、年末を迎え、浅草まで酒の肴他の食料品の買い出しに出かけた。

 私が楽しみにしていた、ビーフジャーキーは、赤ん坊の離乳食はサッパリ受け付けない、まだ一歳にもならない、長男が、口をくちゃくちゃ言わせながら、全部食べてしまった。

 その他、もろもろ、親になるとは、大変なことだ。

 この年のヒット曲の一つ。「シクラメンのかおり」。妻はこの曲が好きだった。
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